ぼくはかなりの活字中毒で、ちょっとした待ち時間でも必ず本を開いてしまいます。
ジャンルは小説、人物伝、ビジネス、ノンフィクション、自己啓発本など様々ですが、何年か前に哲学者の西研(にし・けん)さんの講義を受ける機会があって、それをきっかけに哲学の本を手に取るようになりました。
哲学というと難解で敷居が高いイメージがありますが、今日は誰でも気軽に読めてなおかつ生きることを根本的に考えさせられる、そんな本を紹介したいと思います。
参考記事↓
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21の古典的名著からリーダーのための教養を学ぶ! | 日本アスペン研究所「ヤング・エグゼクティブ・セミナー」
リーダーに必要な大局観、判断力、人間力を学ぶ
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「哲学の練習問題」
自分の見ている世界は他人の見ている世界と同じか?
小学生のとき、部屋の薄暗い灯りを見上げていて、ふとこう思ったことがある。「ぼくには灯りがこのように見えているけれど、他の人にはぜんぜんちがったふうに見えているのかもしれない。」またある人からこう聞いたことがある。「経験しているものすべてがぼくに見せるためのお芝居みたいなもので、ぼくが見ていないときにはお父さんもお母さんも他のことをやっているんだ」、と小学生のころ思っていました。
似たような経験がある人もいるんじゃないでしょうか?
ぼくは小さいころ、家のトイレで1人の世界に入り込むといろいろと妄想する癖があって、本当はお父さんもお母さんも秘密結社のようなところから派遣されていて、自分が見ていないところでは何か悪いことをやっているんじゃないか、なんてくだらないことを考えていたことがありました。あくまで妄想ですが。。。
続けましょう。
私たちはふつう、みんなが同じ一つの世界のなかを生きていると思っている。もちろん人によって世界の見え方は多少ちがうとしても、だいたいは同じように見えているはずだ、と。しかし人はときに思う、「私が見ている世界は、他人が見ている世界とはまったく別物なんじゃないか。それどころか、私の見ているのは幻影であって客観的には何物でもないかもしれない。」
だんだん哲学っぽくなってきましたね。
17世紀の哲学者デカルトはこう言います。
〈絶対確実な知識を得るために、少しでも疑わしいものは信用しないことにしよう。すると、目の前にありありと見える物体の存在も、さらにこの世界の存在も、じつは疑える。なぜなら、すべてが夢かもしれないし、また悪い霊が私のなかに幻影を吹き込んでいるのかもしれない。〉しかし徹底的に疑うとしても、疑えないものがただ一つ残る。〈私がこのように疑ったり考えたり感じたりしていること、これだけは疑えない。われ思う、ゆえにわれ在り〉
私たちがリアルだと思っているものも、実は単なる幻想かもしれない。本当にリアルだということをどうやって確認できるのでしょうか・・・。
まとめ
いかがでしたか?
たまには、いつもと趣向の違った本を読んでみるのも、新たな発見があったりしていいんじゃないでしょうか?
肩の力をぬいて気軽に読める「哲学の練習問題」は、楽しく読める哲学書としておすすめです。
参考にこの本で扱っているトピックスの一部をご紹介しておきます。
- 人間の悩みは脳科学で解決できるか
- 宇宙に果てはあるか
- クラゲに前後の区別はあるか
- タイムスリップの謎は解けるか
- 「なつかしさ」の本質は何か
- 名誉や恋を求める「欲望」は悪か
- 現代人の「生」はどのような条件をもっているか
- 「善悪」を決める根拠は存在するか
- 苦しんでいる人に、それでも「生きよう」といえる理由はあるか
- 「他人に嫌われること」が怖いのはなぜ
- 「本当に意味のある仕事」をするには
- 私の人生を導くものは何か
- 死をどうやって受け入れればいいか
- まっとうな「世界説明」を見分けるコツは
- ウサギに「訴える権利」はあるか
- ”無差別殺人”の意味するものは
- 〈真・善・美〉なんて求めてもムダか
- 〈社会〉はどんな意味をもっているか
- 正義・不正の”感覚”とはどのようなものか
- 近代の正義は何を本質とするか
などなど
興味がある人は是非。
すこし自分の世界が広がりますよ(^^)
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